正村竹一さん

正村ゲージが飾ってあるパチンコ屋さんが大分にあります。

それを見ていると、釘の美しさに心から惹かれます。

正村竹一さんは戦前の昭和11年からパチンコ店を開業していました。

第二次大戦中はあのような時代ですから、当然パチンコも閉店を余儀なくされます。

戦後解禁されるのですが、そのときは戦前から開業免許を持っていた人しか直ちに開業することは出来ませんでした。

1946年のことです。

正村さんはもともとがガラス商でありましたから、全てが灰と化した日本のどこにベニヤ板とガラスがあるのかをご存知でした。

それを使って自らパチンコ台を作り、パチンコ店を開業しました。

その頃のパチンコは、盤面に刺したバラ釘と多くの入賞口だけで構成されていました。

正村さんは1948年には、入賞口を減らし、玉の流れが釘によって誘導されるタイプのパチンコ台を考案したのです。

この釘並びを「正村ゲージ」と呼ぶのです。

現在のパチンコの父と言っても良い人です。

天釘やヨロイ釘、ハカマといったものはもとより、風車や賞球音も開発し導入しました。

このことにより、パチンコの技術介入度は増し、ゲーム性の面白さというものが広がったのです。

またこの釘は単調なパチンコに「スランプ(ムラ)」という波をもたらしました。

釘調整で作るものです。

「客と釘師の勝負」といった面白さをつくることが出来たのは、この釘のおかげなのです。

いまでこそ「釘師との云々」などは介入する余地が無いものになってしまいましたが、「娯楽」として大変にエキサイティングではあったのです。

パチンコの発展元

このパチンコ台は大変な人気となり、他のメーカーも追随することとなります。

その頃には娯楽の王様としてパチンコは君臨しつつありました。

正村さんは考案したもの全てに、知的所有権を巻くことは行いませんでした。

業界の発展のために、意図的にフリーにしたという話を聞いたことがあります。

「みんなで使えばいい」と考えていたのだそうです。

もしも知的所有権を巻いていれば、天文学的な資産を残せたであろうと言われています。

パチンコ業界はこのおかげで発展したと考えていいと思います。

その正村商会(まさむら遊戯)が倒産したのは2010年。

11億円の負債を抱えた末の破産申立でした。

だいたいパチンコ業界は兄弟でも売り合うような、感謝がない業界のイメージがあります。

いまでこそクリーン路線を打ち出していますが、この倒産に誰も手を差し伸べなかったのかと思うと「恩知らず!」と憤りを感じずにはいられなかったのです。

挙句の果てに「あの時に知的所有権を対策しておけばこのようなこともなかった。経営者は肝に銘じるべき話だろう」などと言い出すエコノミストもいました。

「いやいやいやいや、責を負うべきは他にいる!」と思ったものです。

老舗がドンドン倒産してゆく世の中です。

まさむら遊戯のマジカルチェイサーやアレックスにどれだけ助けられたかわかりません。

自分のキャッシュボックスかと思っていました。

あれは後世に残る名機です。

その後もファン投票のつどに、まさむら遊戯が生き残るように、かならずまさむら遊戯の台に投票していたのに!みんな魚ばっかり庇護して!

ただただ、今考えても「よくもまさむら遊戯を見殺しにして!」としか思えないのです。

よっぽど私は「正村」が好きだったのです。

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