東洋のマタハリ

笹川良一氏は競艇の父なのか?などと調べているうちに、いろいろと興味深いことを知りました。

私より年代がずっと上の人であれば知っていて当然なのかもしれません。

私の年代では、笹川良一氏を見ては「A級戦犯なのに安泰なんだな」だの「日本ファシズムの親玉のくせにな」と言っていたのを父の言葉を思い出す程度です。

たしかに戦前戦後戦中を上手く立ち回った人であるとは思います。

部下に「日本のフィクサー」と呼ばれた児玉誉士夫氏がいた時期もあったようですから、右も右といった人物なのでしょう。

後ろ黒いか否かは個人の判断もあるでしょうから、なんとも言い難いものです。

ただ「日本もマタ・ハリ」と言われた川島芳子さんとの親交の話は面白いと思います。

身の危険を感じていた川島芳子さんは、笹川氏のもとに身を寄せたことがあったようです。

川島芳子さんの国民的人気にあやかる作戦でもあったと思います。

人気のヒミツ

この川島芳子さんがどうして「東洋のマタハリ」と呼ばれ、あやかりたくなるほどの人気があったのか。

川島芳子さんの本名は「愛新覚羅善耆」、清朝の皇族粛親王の第14王女でした。

一時は蒙古族のカンジュルジャック氏と婚姻関係にありましたが、3年で離婚。

その後上海にわたり上海の駐在武官であった田中隆吉氏と交際し、日本軍の諜報活動に従事しました。

この田中隆吉氏は第一次上海事変や綏遠事件において指導的立場にあった人です。

日本軍の謀略の数々に携わっていたとされることから、第一次上海事変を引き起こすきっかけとなった日本人僧侶襲撃事件は川島さんが反日中国人を扇動したことで起こり、そのシナリオは田中隆吉氏が書いてという話になっています。

真偽の程は定かではない部分もあり、謎が多い話ではあります。

しかし結婚をしていた田中隆吉氏が聡明な川島芳子さんに惚れ込んでいたのは間違いがないようで、小説「男装の麗人」(松村梢風著)から人気が高まった川島さんとの仲が冷え切った後も、未練ある文を綴っていました。

戦後まもなく、川島芳子さんは裏切り者として中華民国政府の手によって銃殺刑となります。

その数奇な生い立ちと悲劇的な人生と容姿の淡麗さから、今でも人の心を掴んで離さない女性ではあります。

日本からは諜報工作に尽力したにもかかわらず対中国政策を批判した危険分子と命を狙われ、最後は祖国である中国から漢奸として処刑されます。

つかの間の親交があった李香蘭に「僕のようになってはいけない。今の奥を見ろ。利用されるだけされて、ゴミのように捨てられる人間がここにいる」と綴った手紙を送ったようです。

辞世の句は「家あれど帰り得ず 涙あれど語り得ず 法あれど正しきを得ず 冤あれど誰にか訴えん」というものでした。

17歳の自殺未遂の後断髪をして女性であることを捨て、女性であることを利用しつつ「僕」と自分を表現する川島芳子さんの心情を思うに、本当に中国を陥れんとして諜報活動を行ったのだろうかと疑問が生まれます。

実際に「利用されただけ」なのかもしれないのです。

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