競艇の歴史

公営競技は「中央競馬」「地方競馬」「競輪」「オートレース」「競艇」の五つであり、競艇はこの中で最も遅く発足したものです。

競馬の発祥こそ海外ですが、「競輪」と「オートレース」「競艇」は、日本のオリジナルです。

これらの目的は「国民に娯楽を!」という生暖かいものではなく、「戦争で破壊された日本の復興には金が必要!」という実に赤裸々なものでした。

「大金持ちの個人が出資するような金では立ちゆかない。もっと大きな金が必要だ。」というわけです。

モーターボート競走法(当初)の第一条にはモーターボートの性能の向上など製品の改善、モーターボートに冠する海外宣伝とその他のモーターボートの製造に関する事業に寄与ということと、海事思想の普及宣伝と観光事業を図るとあります。

そして「地方財政の改善を図る」ときます。

戦後財政難に陥っている地方自治体が潤うようにということなのです。

その理由はわかりました。

それでは一体誰が考案したのかということです。

モーターボート競走30年史の「笹川会長が語る競艇30年」には、ちょっと驚くようなことが書かれてあります。

大目的が「復興のための資金」としながらも、少々生臭い話も含まれた笹川氏の記述がありました。

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競艇の父

要約すると「海である日本の発展は海運・造船にあって当然であるのに、戦争の壊滅的な打撃で世界最低にまで落ち込んでいる。その立て直しと海事思想と海外飛躍を青少年の意識に植えつけねばならない。こうした第一目的の実現手段の考察」として、モーターボート競走が発想されたのようです。

アメリカではモーターボートを持っているものがハイステータスだということにも触れています。

そういう事を考えていたときに、B級戦犯の一人である海軍将校から聞いた「レイテ島にいたときに小さなモーターボートに爆弾を積んで離すとすごい勢いで障害物に当たる。これを戦法案として話したが大鑑巨砲主義の日本じゃ受け入れられない意見だった」の話がインスピレーションを与えたようです。

「さすがに戦後すぐの日本だな」と苦笑いしてしまいそうな話。

この海軍将校の話のモーターボートはどうも無人であったようですから、まだなんとか聞けなくはない思い出話です。

きっと獄中で暇を持て余しながら徒然に聞いていた話の中のひとつでしょう。

笹川良一氏もA級戦犯として巣鴨プリズンに入獄していました。

大変な国粋主義者で「あら、極端。。。」という逸話も残されてはいますが、東條内閣の政策には反対の立場をとっていたということが、少々救いではあります。

どのような内容から反対の立場をとっていたのかは、わかりません。

若干海軍寄りであったのかもしれませんね。

A級戦犯として巣鴨にいる間は表立った行動が取れないことから、のちに東京都モーターボート競走会理事を務めた福島女史を表舞台にし、モーターボート競走発足のため自分は裏面での尽力を誓ったのだそうです。

笹川氏はたしかに競艇の父なのでしょう。

しかしまぁ、なんとも生々しい話が続き、苦笑するしかないようなものではあります。

だからといって競艇は好きなので、いま少々廃れ気味になっていることが心配でなりません。

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