矢頭保さんという方

宝塚BOYSという演劇作品がありますね。

宝塚にかつて存在した「男子部」を題材にしたものです。

演劇ジャーナリストである辻則彦氏の著した「男たちの宝塚」が上演のキッカケとなったようです。

宝塚歌劇団創設者である小林十三氏は「国民のための」という見地から、男性団員を加入させる試みを2回ほど行いました。

いずれも不評で中途半端な形となってしまいました。

女子劇団員やファンからの猛反対により、本舞台に立つことはなく、ほぼ陰コーラスのみの担当となったのです。

解散の後宝塚新芸座に移籍したものもいましたし、西野バレエ団創始者である西野皓三氏は宝塚歌劇団の教職に付いた後バレエ留学を経て西野バレエ団を設立しました。

芸能界から引退し、この宝塚時代を秘密にしていた人もいたようです。

写真家で日本のメールヌードの第一人者である矢頭保さんも、この男子部の出身でした。

和製ターザン

この矢頭保さん、体格も顔立ちもご立派で、和製ターザンと呼ばれていたようです。

ダンスが得意であったようですから、身体能力に優れていたのでしょう。

男子部解散の後、役者などを経験しつつ、ゲイパートナーとなるメレディス・ウェザビーと新宿のゲイバーで知り合います。

この人物が矢頭保さんを自宅に住まわせ、庇護します。

写真といったアーティステックな世界を教えたのもこの人物でした。

三島由紀夫と親交を深め、「切腹写真」を撮影したのは三島の求めに応じた矢頭保さんでした。

ウェザビーと出会ってから15?6年ほどたったとあたりで、新恋人が出来たことからウェザビーに同棲を解消されます。

一人暮らしを始めた矢頭保さんは友人である三島由紀夫の死と重なって、心に大きな負担を抱えます。

精神的に参ってしまったのでしょう。

肉体的に衰弱するようななにかしらを使用していたのかもしれません。

心臓疾患で睡眠中に息を引き取りました。

ごく親しい友人らだけで執り行なわれた葬儀の後、突然親族が現れ、写真集などの再販を禁じられネガやプリントもその親族の手によって処分されました。

生い育ちが明瞭な矢頭保さんです。

宝塚歌劇団にに入っていたということで、お家柄は悪くなかったろうと推測されます。

きっとこのアーティスティックな生き方が、親族にはとても「ヤクザな生き方」に見えていたのかもしれません。

一族の恥と言い出してもおかしくない時代でした。

無理解に苦しんだことも多かったでしょう。

「和製ターザン」と言われる風貌でありながら、とても繊細な人であったように思います。

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