先日テレビのクイズに「この発掘風景はなんでしょう」というものに「マンモス!」と勢い良く応えてしまいました。

ナウマンゾウでした、残念です。

日本に初めて象が来たのは1408年。

足利義持への献上品として南蛮船が福井県の小浜に持ち込んだのだそうです。

上京した後に朝鮮に送られたという記録が残っているとのことですが、贈り物を使い回ししたのでしょうか。

南蛮船から貰ったものを、「よし!朝鮮にあげよう!」としたのでしょうか。

それとも「見たからもういい」と足利義持から言われて、「じゃあ朝鮮に持って行こう」としたのでしょうか。

そこが知りたくてたまりません。

とはいえその前からも象という生き物自体の存在は知られていたようで、12世紀から13世紀に描かれたとされる鳥獣人物戯画の中には象と思しき絵があるのだそうです。

聞いたものなのか見たものなのか、どっちなのでしょう。

1575年は明の船から大友宗麟が象と虎を献上され、1597年には豊臣秀吉がルソン総督から贈られ、1602年には徳川家康が交趾から虎と孔雀とともに象も贈られたようです。

さぞ持て余したことでしょうが、その後どうなったのでしょう。

日本に来た像

徳川吉宗は象が見たくてたまらなかったのでしょうか。

直々に象を注文をします。

注文してから2年後の1728年6月ベトナムから運ばれた雄と雌の二頭の象は長崎に付きます。

唐人屋敷のなかで飼育されていましたが、メスの象はまもなく死んでしまいます。

なぜしばらく長崎にいたのかはわからないのですが、ちゃんと理由はあったのでしょう。

翌年の3月には江戸に向けての旅がはじまります。

街道沿いの宿場町では橋の補強や食料の準備などで大わらわだったようです。

4月には京都に着き「広南従四位白象」という身分を授かり、天皇との謁見が実現しました。

象といえど身分が低ければ天皇とのお目見えは許されません。

5月にようやく江戸に付き、吉宗との謁見を果たせました。

1200キロに渡る長旅がようやく終わったのです。

その後浜御殿で飼われることになりました。

しかし大変な食欲ですから、コメを8升、素饅頭を50個、橙を50個毎日食べていました。

10年以上飼われていましたが、飼育係が象に殺されてしまったということもあり、百姓の源助というものに払い下げられました。

しかし1年後には栄養失調で死んでしまったようです。

源助さんがどのような農民かわかりませんが、この扶養家族はさぞ負担であったことでしょう。

ただ日本に来る象は、どうも悲しい目にあってばかりのような気がします。

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