テンプル騎士団

テンプル騎士団という名前は、それを題材としたりモデルとした小説なども多いことから、広く認知されていることでしょう。

日本語においては「神殿騎士団」や「聖堂騎士団」といった呼び名を使われることもありました。

十字軍活動以降に誕生した騎士修道会のひとつとして「テンプル騎士団」も存在していました。

エルサレムへの巡礼に向かう人々を保護することを目的として設立されたのです。

テンプル騎士団に入会する者たちは、この世の欲を捨てる証として私有財産を寄贈していました。

喜捨といえばわかりやすいでしょうか。

宗教にはよくあることです。

そうしているうちに12世紀から13世紀の頃には、このテンプル騎士団は膨大な資産を構築しました。

多くの土地も持ち、教会や城砦などもつくり、戦隊まで持つほどになったのです。

パリの支部は「国王の非公式は国庫」と言われるほどの財産を所有し、フランス王の経済支援を行っていました。

ルイ14世の頃には国王の国庫は正式な形でテンプル騎士団に預けることになり、この体制は200年弱続きます。

テープ起こしネット

テンプル騎士団の汚名

13世紀の終わり、フランスのフィリップ4世の時代、財政面でテンプル騎士団から援助を受けていたにもかかわらずフィリップ4世はテンプル騎士団のもつ潤沢な財産を我がものとしたいと策略を練ります。

フランスは慢性的な財政難に苦しんでいましたし、イギリスの戦争によって多額の債務も抱えていました。

その最大の債権者はテンプル騎士団だったのです。

初めに、自分がその長となり強大な勢力を振るうことを画策しますが、それにはテンプル騎士団が乗ってきませんでした。

そこで債務の帳消しと資産の没収をねらって、フィリップ4世は罪を着せようとします。

しかしもともと何の罪も犯していないテンプル騎士団を罪に問うことは難しいものです。

そこで匿名の証言が採用される「異端審問方式」を採用します。

厳密に言えば違いがあるのですが、イメージとしては魔女狩りを頭に浮かべるといいでしょう。

確証が得られずとも逮捕ができ、自白をするまで拷問にかけることが出来る形です。

フィリップ4世はフランス全土のテンプル騎士団を一斉に逮捕。

異端の濡れ衣をきせ拷問で自白を強要、処刑の上、財産は没収。

幽閉されていた最高責任者の4人も火あぶりにされました。

フランス以外の国にも教皇クレメンスがテンプル騎士団の禁止を通告しました。

しかし他国はそれに従わず、テンプル騎士団の弾圧は行われませんでした。

このフランスでの弾圧が、みえみえのものだったのかもしれません。

このテンプル騎士団の異端の汚名は、長い間晴らされることはありませんでした。

現代では1907年ドイツの歴史学者がフィリップス4世の資産狙いと明らかにして、そこからようやく正式な形で汚名回復に向かうこととなりました。

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